●管理人の言いたい放題●
2001年にARCA Re/Max シリーズに出走したケリー・アーンハートのモデルです。この年は5レースに出走し、このペイントは3レースで使用されました。2001年5月19日第7戦コンコード「EasyCare Vehicle Serivces Contracts 100」(予選6位・決勝20位)、2001年6月9日第9戦ブルックリン「Flagstar 200」(予選9位・決勝1位)、2001年10月4日第23戦コンコード「EasyCare Vehicle Serivces Contracts 100」(予選3位・決勝1位)となっています。
2001年2月11日に行われたARCA Re/Max シリーズ開幕戦デイトナ「Discount Auto Parts 200」にもテレサ・アーンハートからの援助で出走し予選10位、決勝14位となっています(因みに優勝はライアン・ニューマンだったりします)。その数日後に行われたデイトナ500で父親デイル・アーンハートを失うこととなりました。しかし悲劇はそれだけでは終わりません。
このペイントで出走したARCA Re/Max シリーズ第23戦コンコード「EasyCare Vehicle Serivces Contracts 100」で彼は優勝しています。しかし残り4周のターン4で、リード争いをしていた1996年のARCA Re/Maxルーキー・オブ・ザ・イヤーのブレイズ・アレキサンダー(Blaise Alexander)がケリーのマシンをパスした直後、アレキサンダーのリアにケリーが接触、2台はスピンしてこのうちアレキサンダーのマシンがほぼ正面からコンクリートウォールに激突。アレキサンダーは救出されましたが頭部に重傷を負い、その夜亡くなりました。
67周で行われる予定でしたがこのアクシデントでレッドフラッグが提示され、その後再開されることなく63周終了時点で確定、優勝ケリー・アーンハート、2位アレキサンダーとなったのですが、ケリーのモンテカルロがビクトリーレーンに入ってくることはありませんでした。
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